アニメ「ヒカルの碁」全75話、すべて見終わりました。囲碁は打ちませんし、ルールも将棋ほど詳しくありませんが、井山裕太の囲碁を解説付きで見る機会は多いので、「ヒカルの碁」、長かったですが、退屈することもなくとても楽しめました。
ちょうど20年前に大ブームが起こり、2001年10月10日から2003年3月26日にかけてテレビでアニメ「ヒカルの碁」が放送されたようでした。
当時は全く見る機会がなかったのですが、まさか20年後にそれをすべて見るようなことになるとは夢にも思いませんでした。ブームになったのも頷ける内容でした。
私の小4の時にテレビアニメ「鉄腕アトム」が放送開始となりましたが、「科学の子」ではなかった私はアトムにあまりなじめませんでした。それ以降の日本製のアニメにもあまりなじめない子どもでしたが、その理由のひとつが判明しました。
もっと幼い時に、アメリカ製アニメに親しみ過ぎていたから、遅れてきた日本製アニメにあまり親しめなかったと思われます。
わが家は1960年(私小1)にはテレビだけはある家庭でしたので、外国ドラマや外国製アニメにどっぷりと浸かっていました。
ということで、私を楽しませ育ててくれたアメリカ製アニメを、日本のテレビへの登場順でご紹介したいと思います。
「珍犬ハックル」は、1959年からの放送。なかなかの仕事ができるハックル(警察官)だったような気がします。大好きでした。
「マイティ・マウス」ももっとも初期に見ていたアニメーションで、ものすごいスピード感で自由に空を飛べるので、スーパーマンのようなネズミのマイティ・マウスは無敵でした・私の最初のヒーローでした。
ポパイも同じくもっとも初期の番組で、いつもオリーブにちょっかいを出すブルートがポパイにコテンパンにされるというお約束のワンパターン。なのに毎回楽しいのはなぜだったんでしょう。
1960年頃放送の「早打ちマック」は、馬の保安官が主人公。私の西部劇デビュー作品でした。
「原始家族フリントストーン」は「恐竜家族」というタイトルで1961年頃から放送されました。仲のよいお隣同志の原始家族のファミリードラマでした。他のアニメも同様ですが、この頃から声優たちの声の演技が素晴らしいもので、子どもたちが楽しめた要素は楽しい声の演出にもありました。
「フィリックス」は、1963年からお目見え。平日の夕方に5分間放送される短編アニメでした。いまだに有名なキャラクターです。
同じく1963年の「ヘッケルとジャッケル」。二羽のカラスが主人公だと思っていたのですが、実は彼らはカササギだったようです。このカササギがワルさばかりを繰り返す、教育上よろしくない内容だったように思いますが、痛快なまでに愉しかったのでした。
そのほか、さまざまなキャラクターが短編アニメで登場する「バッグスバニー・ショー」が、私にとってまさにバラエティとの出会いだったような気がします。ちなみにバッグス・バニーの声は黒柳徹子が演じていました。