
孫娘(小学3年生)が野球に興味を持ち始めていて、私が野球を見ていると横からルールを確認してきます。
孫の野球のルールの認識度合いは、小3時代の私のそれより少し劣るくらいで、彼女はキャッチボールはしていても、まだプレーもしていない段階です。
ですから、野球ルールについての知識はほぼゼロで小3レベルの言語能力の人間に、テレビ観戦で野球を教えるのはなかなか大変だと感じるわけでございます。
私が物心ついた小3のころ(1962年)、巨人の長島茂雄はすでに球界のスーパースターでした。
彼の登場で、日本のプロ野球は名実ともに「国技」となりました。
長島が存在しなかったら、王貞治も江夏豊も江川卓もイチローも大谷翔平も存在しなかったと言えるほど、彼の登場と存在とその影響力は偉大だったように思います。
私は南海ホークスと阪神タイガースのファンでしたから、長島茂雄には辛酸をなめさせられ続けました。でももしあの時、立教大学の長島が杉浦忠と一緒に南海ホークスに入団していたら、NPBは今の姿にならなかったかもしれませんから、日本の野球界にとっては彼が巨人に入りスーパースターになったことがエポック・メイキングだったように思います。
長島は私にとって憎き大敵でしたから、リスペクトしたことは一度もありません。そういう了見の狭い人間ですが、中学校の部活で野球を選んだ際、打撃練習でイメージしたモデルは、恥ずかしながら長島茂雄でした。
私は長島と同じ右打者でしたので、彼のバッターボックスでの構えやスイングや全体のリズム感などを参考に、長島になったつもりのイメージ(形態模写)で試行した結果、とても良い結果が得られ中3では中心打者になれました。
長島茂雄は投手が投げる渾身の一球を、練習に裏打ちされた自信と集中力でものの見事に撥ね返し続けた素晴らしいバッターでした。そして、走力とバネの効いた身体能力は、もちろんのこと守備力にも遺憾なく発揮された選手でした。
孫娘に教えている煩雑な野球ルールですが、その対極にあるのが、来た球を速く強く巧く打ち返して自分も含めた打者をひとりでも多くホームベースに還す(あるいは還らせない)という醍醐味が野球の真の魅力でした。そのことをまだ貧しくて美しかった昭和の野球ファンはしっかり分かっていて、球場やテレビ中継で見つめて楽しんでいました。そういうファンを育てたのも、長島茂雄が存在した意義のひとつでありました。
謹んでご冥福を祈ります。 黙祷
